2010年4月30日金曜日

今夜は青森県弘前市の道の駅「ひろさき」で寝ます。

今朝は09:00に「大鰐(おおわに)弘前IC」を出た。平泉前沢ICから乗り「紫波IC」で一晩泊ったんだが、料金は千円也。岩手県からの道中はずっと雨だった。それが弘前に下りた途端晴れ間が見えて幸先が好いと喜んだんだが、一日千円の駐車場に入れて弘前城に入ったらまた雨が降り出した。降らないと予測して傘を持たなかったのでずぶ濡れの花見になった(/_;)(`´)。桜の咲き具合は、外濠の外周りは満開に近くて綺麗なんだが城内は六分咲き、枝垂れ桜に至っては一、二分咲きで寂しいもの。高遠城の桜はヒガンザクラ一色で一斉に満開になるんだが、弘前城内は枝垂れ桜が多い。枝垂れとソメイヨシノの開花時期が相当違うので難しい、ここの最盛期は一週間後で、その頃にはソメイヨシノは盛りを過ぎて散り急ぎ、枝垂れ桜は満開にやおら近づくって感じかな、どっちにしてもチグハグ感があるのが弘前城の桜の特色。テントの店が並んでいてその中に津軽の陶器を並べている店があったので入ってみた。ら、気に入ったモノがあったので六点ほど買った、帰って使うのが楽しみぃ(*^^)v城と桜の構図は、雨に祟られ枝垂れの開花が今一で冴えなかった(*_*; 岩木山とリンゴの花の構図、これはもう話にならない。岩木山は本式の降りで姿を現さず、一方リンゴの樹は蕾も膨らませていない状態。「岩木山神社」だけでも拝んで行こうと探したら、その前に「高照神社」というのに出っ逢わした。これが不思議な神社、津軽藩4代目の当主が「吉川神道」式に葬られて自ら神になっている、拝殿・神殿などが完璧に整いそれがまたユニーク、こんな神社がこの世に成立し、しかも300年間維持されてきたのが不思議。ここでもずぶ濡れ。岩木山神社は近くにあった。これがまた想像を遥かに超えて大きくて美しい神社、岩木山の頂上に奥宮がある。今度は懲りて傘をさして雨の中を参詣。左手が傘で塞がりも右手一つでデジカメを操作しても正確にできることを発見、それだけ今のデジカメは軽くて小さい。岩木山神社には出逢えて好かった、神ながらの道が姿形をとるとこうなるという神社の原型の様な感じ。両神社のことは写真で示すしかない。こうして今日も一日雨に祟られて終わった。この道の駅は、朝ICを下りたときから目を付けていた、ICを下りて直ぐの所。ここは十和田湖を直に覗える好位置。明日から天気が回復して呉れることを祈りながらここで泊まる。この道の駅を歩き回っていたら向かいに何と「花の湯」を発見、大きな綺麗な銭湯。天は僕に風呂をつかってこいと命じられているのであろうか。疲れたし、どうすっかなぁf(-_-;)。
●この後、湯に浸かってきた。今体がホッカホカ状態。この数日間日中をずぶ濡れで過ごして気が滅入っていたのが回復。明日から銭湯探しに勤しむかなぁf(^_^;)。それではまた明日(^O^)/

2010年4月29日木曜日

4/29(木)、今夜のお泊まりは‥聞いて驚くなっ(`´)

「紫波SA」!盛岡の手前の岩手県の紫波f(^_^;)。今朝は7時にセレナを始動させ北に北に向かった、目指すは「平泉」。常磐道を直進北上して「いわきJCT」で磐越道に乗り換え「郡山JCT」で東北道に乗り換えて午後1時半に到着。その前、いわき市の顔を見に行った。いわき市は人口30万都市。福島県では1位郡山市に次いで2番目、福島市は28万ほどで何と「いわき市」の下の3番目。どうも市町の大合併で30万都市に成り上がったらしい。どんな顔をした30万都市なのか、地理好きの僕には前から関心があった。それでこの際、会っておくことに。「いわき中央IC」で下りた。ICには「いわき」の名を冠したのが3、4もあるが、下に降りると道路案内に「いわき」と付くのは皆無、「平」とか「小名浜」という昔馴染みの地名が出てくる。要するに磐城地方の弱小都市が寄り集まって(徒党を組んで)30万都市を標榜しているよう。そうすると首領級の都市は平(たいら)、かつて石炭産業華やかなりし頃、平は常磐炭鉱の中心都市として栄えた、それでも人口は10万まで行かなかった筈。案の定市街地は大した規模ではない、ものの10分間で一回りした。分散型都市という新しいタイプの30万都市。そう言えば磐城・郡山の桜はもう殆ど散っていた。さて話は平泉、そこへの道中も着いてからも雨に祟られた。「中尊寺」の探訪はずぶ濡れで強行、カメラを濡らすまいとタオルで包んで必死のパッチ。前に女房と訪れたことがあるがもう30年近くも前、今32歳の長女がまだ幼稚園だった。「金色堂」は勿論、全山隈なく見て歩いた、所要2時間。それから直ぐに「毛越寺(もうつじ)」に回った、時間切れになるかと焦りながら。毛越寺に入った途端、雨が上がり晴れ間が見え出した。久し振りに気持好く見学して回った、雨上がりの景色は凛として清々しい。その毛越寺には驚かされた。基本的には桁違いに大規模な庭園を中心にした遺構・遺跡であって、今ある門や本堂はその遺構・遺跡の管理施設然としている。だがその廃墟が千年後の今も今にも雄叫びを挙げそうに躍動している。廃墟となる前のその雄姿を想像するだに圧倒される。その構想の壮大さ、センスの繊細さが今もピンピン伝わってきて、まさに感動的、芸術的。大池(というよりも湖)を周遊しているだけで瞬く間に1時間半が過ぎた、5時を過ぎたら寺の人達が引き揚げてしまったので僕も「時間外出口」から駐車場へ。天気が回復しそうなので明日は更に北に足を延ばして弘前城の桜を見学するつもり。あっそうそう話が後回しになったが、東北も岩手県辺りまで来ると桜が今まさに満開爛漫。弘前城と桜の構図、岩木山とリンゴの花の構図に当たってみるつもり、信州はもうリンゴやナシの白い花の季節だが、津軽はまだ早いかな。十和田湖から奥入瀬渓谷を下る構想も検討の余地が出てきた。空が晴れると自然と心も晴れる。観光渋滞に巻き込まれない段取が旅のプロの腕の見せ所。それじゃぁこの辺りで失礼します、明日またぁ(^O^)/

4/28(水)、今夜のお泊まりは、

常磐自動車道「友部SA」。ここに泊まるのは明朝、北関東自動車道に入るか、常磐道を直進するか決めようという寸法。ということは未だ迷ってる。今朝は05:00に目を覚ました。香取神宮に入ったのは07:00、本降りの中(>_<)。鹿島・香取と北関東に大神宮が古来からある意味を考えさせられた、考えは大分煮詰まったけどね。香取神宮を出たのが08:30。直ぐ隣の佐原市街で伝統的街並を探訪、のつもりがなかなか発見できない、「伊能忠敬記念館」がなければ諦めたところだけど、しぶとく探し回り、探しあぐねて500円の有料駐車場に入って在り処を聞いた。近くだった。伝統的街並と言っても指定された古い建物はたったの6、7軒、期待外れ。しかし「伊能忠敬記念館」は好かった、何せ原物・原本が数多ある。ここに1時間半ほど居たんじゃないか。記念館の向かいに忠敬翁の商家も残されていてこれも好かった。街並を写していたら雨に濡れてカメラの調子が変になった。雨が止みそうになかったが「成田山・新勝寺」に足を延ばした。成田山は正月の初詣の人の数の多さで全国一、二位を争う、何故わざわざ東京から離れた成田山なのか、それが永らく疑問でそれを理解するためにやって来たようなもの。度肝を抜かれる豪壮な寺院、真言宗智山派。成田山の隆盛の秘訣は「講」だな。講の勧進元が沢山あってしかもどれもしっかりしているんだと思う。支えがしっかりしていれば伽藍も景気も好くなる、すると講が益々盛んになる、好循環の繰り返しがあの初詣の入り数になっている。ずぶ濡れ状態で成田山を後にしたのが15:30、それから雨の中をセレナで流浪した、行き先が定まらない。初め銚子市・犬吠﨑を目指した、が、明日も雨だろうと思うと無意味に思えて引き返すことに。引き返した地点が「三里塚」。佐倉(成田の直ぐ南)に出て北上し印旛沼を通り、常磐道に入ってまた水戸近くまで二日がかりで戻って来た、地図的には北浦・霞ヶ浦・印旛沼をぐるりと周回したようなもの。明日どこへ行くかは分らないなぁ(*_*;朝目覚めたときの天気次第だな、雨ならもう濡れて見学するのは厭だからセレナで北へ北へと走り続けても好いなf(-_-;)。晴れていたら思案のしどころだなぁ、選択肢が幾つかある。北上ルートについて僕のナビは古過ぎて信用ならないが、友部SAの資料で確認したら常磐道は磐越道に接続し、磐越道は東北道に接続している、北上案も選択肢の一つ。磐越道沿道には「三春・滝桜(枝垂れ桜)」がある。それじゃこのあたりでお休みなさい、明日またぁ(^O^)/
●この稿、昨晩「友部SA」から送信できなかった。今晩泊まる「紫波SA」は電波の調子が好い。トイレの手洗いにお湯も出たし(*^^)vお湯が出ると顔を洗う気が起きて大変結構f(^_^;)。

2010年4月27日火曜日

今夜の露営地は道の駅「水の郷・さわら」

「水の郷・さわら」は千葉県香取市の旧佐原地域にある。新米(本当は「新前」が正しい、新しい前掛けをしたホヤホヤのこと)の道の駅でとても立派な施設。ところで何故岩手県に居ずに千葉県に居るのか、それが問題やという訳は全然なくて、偕楽園を見学してから常磐道・水戸北スマートICに戻ったら‥このICは変則で「東京方面」しかなかった、「いわき方面」は行けませんということで已むなく(>_<)。偕楽園を出たときは常磐道をぶっ飛ばして相馬辺りまで行きそれから下道を仙台まで行きさらに岩手県に入って直ぐの「毛越寺」「中尊寺」に行く腹になっていたのにぃf(-_-;)。さて水戸・偕楽園は朝7時から歩き回った、歩き回ると実に興趣ある庭園であることが分る。観光バスで来て覗く分には大した庭園には思えないだろう。2時間歩く覚悟の人なら「兼六園」の上であることが分る。それにしても基本的には梅園なので梅の花の季節にこそ来るべし。10:30水戸ご出立、鹿島神宮に向かう道中は雨、それが鹿島神宮に着いたら不思議と上がった。鹿島神宮は別格・屈指の古い大社、30年近く前にここを訪れたときはボロボロに錆びた長大な直刀が宝物として展示されていた記憶があるが、今は奈良時代製というピカピカの直刀だけが展示してあった。長さが3m近いのは昔と変わらない。次の潮来は道中も着いてからも本格的な降り、潮来の街を走っていたら「公衆便所」の案内があったのでここだなと勘をつけてハンドル切ったらドンピシャリ、水郷潮来観光の目玉地。合羽を着て歩いた。「潮来花嫁さん」と「潮来の伊太郎」の銅像があり、それは流行歌も流れてくる仕掛け付き(伊太郎の顔は橋幸夫そっくり、花嫁さんの歌声は花村菊枝)、水郷の面影は今はなし。雨の日は晴れの日よりも暮れるのが1時間は早い、今日は次の日程の「香取神宮」参詣で打ち止めにしようと思いながら利根川を渡り香取市役所に向かった。が、佐原市街をウロウロするばかり、完全に地理勘がトチ狂った、一方通行を逆行して土着の人にビックリされる始末でもうお手挙げ、窮余の一策で佐原駅に出たら駅前交番があったので乗りつけた。「どうされましたか」と訊かれたので「石川県から来て香取神宮を探してるんですが全然分らない」と言うと、親切に地図を描いて説明してくれた。分らないのが道理で「香取市」は旧佐原市と香取市が合併、市役所は旧佐原市役所を使い名は香取市とするという合併によくある名実を適切に使い分ける妥協策をとったらしい。若い警察官の描く地図に「道の駅」が書き込まれ「これは最近できたんですが」との説明がついたとき、僕の目がキラリと光らないことか、今夜の露営地はこの瞬間に決まった。その道の駅は香取神宮に近かった。夕暮れて雨降りなので計画を変更し、香取神宮参詣は明朝に回して道の駅に収まった、駅の名は「水の郷・さわら」、国道沿いの素晴らしい施設。ここで得た情報でさらに明日の計画も決定、早朝に香取神宮に参詣する、それから佐原の伝統的建物群のある街並を散策する、散策の窮極目標は「伊能忠敬記念館」、そう地理好きなら尊敬してやまない伊能忠敬翁は佐原の人。醤油蔵で大きさが日本一のものも残っているらしい。アヤメ・カキツバタの季節にはちょっと早いがその季節になると水郷佐原・水生植物園がとんでもなく素敵そう。佐原は見所抜群、明日一日を佐原探訪に割いても惜しくない。それでは皆様、今日も一日労働ご苦労様でした、僕は車の中で一杯飲んでお気楽に寝ますんで悪しからず(^O^)/(-。-)y-゜゜゜あっ、今日の歩行数は14.000歩でしたぁf(^_^;)

4/26(月)、今夜の寝場所は常磐自動車道「田野PA」

今、常磐自動車道「田野PA」に入っている。水戸ICをわざわざ一つ通り越してここに入った、売店ぐらいあるかもと期待したが何もない、トイレだけの寂しいPA。それでもeメールが通じた、前に入ってみたPAは売店なし・メールも出来ずでどうしようもなかった。今夜はここに泊まる。明日は「水戸北スマートIC」で下りて水戸に引き返し「偕楽園」を見学する。日本三名園(金沢・兼六園、岡山・後楽園、水戸・偕楽園)のうち偕楽園だけまだ見ていないのでf(^_^;)。その後、南に行くか、北に行くか、迷っている。南なら「鹿島神宮」「香取神宮」「成田山新勝寺」あたり、北なら岩手県南部の奥州藤原氏三代の栄華の地に開かれた「毛越寺」「中尊寺」。奥州藤原氏の故地は大いに遠い。これより北は、名所旧跡が乏しい割に遠いので遠慮するつもり。今日は一日中、日光で「東照宮」「輪王寺・大猷院(三代・家光を祀る寺)」「二荒山(ふたらさん)神社・下野国一ノ宮」を見学した。昨朝のお目覚めは早朝05:45、早すぎるので日光杉並木街道をお散歩と洒落込んだ、早朝は小鳥が活発、気持ちが好い。前日、日光市街地を走って目を付けておいた市営駐車場が開く08:00justに乗りつけて一番乗り(*^^)vf(^^ゞ一日の拝観料はあれこれと結構掛かった、と言っても安いもんだけどf(~_~;)。一日中、天気が好かった。歩行数・17,777歩f(-_-;)。
●この稿、一日遅れで上程。田野PAでは、eメールは通じたが、Inter Net はムニャムニャしていて僕が癇癪を起したのでf(~_~;)。ここは鹿島神宮へ行く道中の路傍、眠くなったので停車中。正午から本格的に降りだした(>_<)旅に出て最初の雨。

2010年4月25日日曜日

今夜のお泊まりは、日光今市「杉並木公園」駐車場

昨夜は珍しく熟睡し今朝05:30にお目覚め。北信・飯山の道の駅「花の駅・千曲川」を出立しのたのがモタモタと07:30。十日町まで信濃川沿いに直進し、そこで右折し一山越えて六日町へ、今は南魚沼市というらしい。越後の名山「八海山」に本式に挨拶するのがお目当て。気象が好く、首尾良く挨拶できた。「八海神社」にも参詣。山頂の巨岩、向かって左が「不動岳」、右が「大日岳」というらしいが、それらが肉眼でも見えた。霊山の趣あり。それから国道伝いに三国峠を越えて上州に入り、今回の旅行の目玉にしていた「日光東照宮」を目指した。東照宮は前にも訪問したことがある、今更何故に日光なのかということだが、職人芸の極みをそれを堪能するという心持で味わい直したいと思ったから。沼田から金精峠越えで目指したが、これが想定を遥かに超えた遠路。男体山・中禅寺湖に到達した時点で今日の東照宮探訪は断念。職人芸の極地の堪能は明日に回して、日光のその他を味わっておくことに徹した。今日の最後に「華厳の滝」エレベーターに乗った。そして「いろは坂」を下って(これは1,400mの断崖を車で攀(よ)じ下りてくるようなもの)日光市街地に舞い降りた。もう夕暮れが近かった。世界遺産に登録されるほどの格式の高い観光地で、道の駅がありそうな雰囲気でないf(-_-;)、宇都宮がもう近いのでそこまで行って何とかしようと思っていたら、「杉並木公園」に遭遇したという訳。往時の日光街道の杉並木が今も生きていることに感心しながら運転していたのが幸いしたか。飛び込んで駐車した後、杉並木を散策して日光街道の昔を想ってみた。有情の終幕を迎えることになった。
ところで、谷川岳探訪はどうなったのか。実は予定を変更して夏に取っておくことにした。次の受信メールを読んで貰えば理由が分かる。 
差出人: M 件名 : 緊急連絡 日時 : 2010年4月25日 5:10
三林画伯様 携帯メールにて失礼します。ブログ拝読し驚きました。土合より一ノ倉沢間は豪雪地帯故、例年車両は5月中旬過ぎまで冬季通行止めとなり、徒歩でのアプローチは可能ですが約4㎞の雪道歩行を強いられます。このメールが間に合えば事前確認、若しくは計画の変更をおすすめします。引き続き良い旅をお楽しみ下さい。
差出人: "みばやし たかし" 日時 : 2010年4月25日 5:57
メール、間にあいましたf(~_~;)。緊急連絡、まことにありがとうございました。計画変更します。それよりも、ブログを読んでくれている人がいるという事実が分って、嬉しいf(^_^;)。ありがとう(^O^)/
明日は一日かけてでも、東照宮に残された職人芸の粋を堪能してくる、ここからはちょっと逆戻り。東照宮を堪能した後は、宇都宮に出る。その後は未定だが、多分北上する。白河の関を越えて陸奥に入ることになるだろう。

2010年4月24日土曜日

今夜は、道の駅「花の駅・千曲川」で野宿。

06:30七尾出発。糸魚川から姫川沿いに遡上。糸魚川郊外の明星山をスケッチ、発電所のある所。それから白馬の有名スポットを覗く、大出という所。白馬三山が見えないうえに風景が寒くて寂しいのでパス。青木湖畔の旧道を通り木崎湖へ。木崎湖でスケッチ。それから大町を通過し池田町美術館前へ。ここも結構有名なスポット、有明富士あるいは爺が岳を背景にして構図が二つもとれる。この頃から風景に明るさが出てきた。それから進路に迷ったが、明科(あかしな)で犀川沿いに長野市へ出るコースを選択。長野から飯山へ。北アルプスと松本盆地の水を集める犀川は長野盆地で佐久方面の水を集めて流れてくる千曲川と合流して「千曲川」になる、やがて越後に入ると「信濃川」と呼ばれる。飯山は合流後の千曲川のほとりに在る。今、野沢温泉手前の道の駅「花の駅・千曲川」で一服してビールを飲んだところ。今夜はここで泊まる。夜空が綺麗、明日はきっと絶好の気象になる。実はここから明日、谷川岳を覗っている、「土合(どあい)」という在所を目指せば、一ノ倉沢に辿り着けると登山のプロが教えてくれた。これまでに800人のロッククライマーの命を奪った魔の山に。最高の写真を狙っている、構図が気に入れば油絵も描くつもり。ということで明日また(^O^)/(-。-)y-゜゜゜
明星山と発電所
スケッチ。パステルとコンテ
白馬 青木湖。風景が寒々しい。

木崎湖
木崎湖
スケッチ。パステル&コンテ
池田町美術館前。背景は「爺が岳」
池田町。背景は「有明富士」
池田町。爺が岳
池田町。有明富士
犀川の一面
「奈津女橋」から見た犀川風景、逆光でこの美しさ 。絵になる。
同上

2010年4月23日金曜日

いよいよ無宿流浪の写生旅行に出発しま~す(^O^)/

春になり毎週末に取材旅行に出掛けていた。そのプログへの報告が追いつかず四苦八苦していたが、昨夜どうにかこうにか脱稿した。写真編集が大変。一区切りついてやれやれと思ったら、明朝(土)からいよいよ二週間ぶち抜きの無宿流浪の写生旅行に出る。それをプログに載せるとなると‥超大変f(-_-;)。旅行中はメールによる無線送信に頼るので、文章による報告が中心になる。今度の旅行は、天気さえ好ければ絵を描く。描いた絵の写真くらいは掲載できるので、お楽しみにぃ。行き先は、桜前線を追いかけてみようかなと思うので、北へ北へとなるだろう。北はまだ雪が降る惧れがあるという異常気象なので、冬タイヤを替えるのを忘れていたのが正解だったかも。それでは次の報告は旅先から、ということで(^O^)/

松本郊外「安養寺」の枝垂れ桜

高遠から伊那の街に出て、伊那ICから中央道に入り岡谷JCTで長野自動車道に乗り換え、松本ICで下りて阿房トンネルを目指していた。松本郊外を走っていたら、見事な枝垂れ桜に包まれた寺を発見。思わずブレーキを踏んだ。


























高遠城址公園の桜

「 高遠のさくらとは?」《Copyright 伊那市観光協会》によると、明治8年、荒れたままになっていた高遠城址を何とかしようと、旧藩士達が馬場の桜を城址に移植したのが公園の桜の始まり。高遠の桜は、タカトオコヒガンザクラで、ソメイヨシノより少し小ぶりで赤みのある花を咲かせる。城址公園内には約1500本以上の桜があり、「さくら名所100選」にも選ばれている。見頃は4月中旬、花のシーズンには、30万人以上の観光客が訪れます。























唖然とするばかり。
山際に見えている桜で包まれた岡が「高遠城址公園」。