2010年3月8日月曜日

『椿庵』訪問。行きがけの駄賃に「能登国分寺跡」を探索。

3/8(月)。今日は絵旅第一波の帰還日に当ててあった、事務長に無断で。それが空いた。雨が降りそうもないので、陶芸家・吉田洋子氏の『椿庵』を訪問することに。「椿に寄せて」『椿庵』10周年記念展示がなされている。彼女のブログ「日本工芸会正会員・吉田洋子」で知った。10:40事務長に無断で散策然と事務所を出発。距離はある。途中春を探しながら。
















御祓川中流の川原で発見した見馴れぬ小鳥。名が知れぬのが残念。















田圃の畔で「姫踊子草」(ひめおどりこそう)の花を発見。早春真っ先に咲く花。
















農家の庭の白梅。
















椿の蕾。
















キンポウゲ。
風が寒い。両手を外套のポケットに突っ込んで歩いていたら「能登国分寺跡」に着いた。
















赤い柱の位置に「北門」が建っていた。彼方に「南門」が見える。
















伽藍が配置されていた所。










































































































































































































































この能登国分寺跡を中心とした七尾市徳田地区に残る地名は興味深い。「国分(こくぶ)」は「国分寺」ゆかりの地名と見えるが、「国府」の転かも。「国下(こくが)」は読みの言い伝えが大事で「国衙(こくが)」の当て字だろう、三省堂 大辞林によると 【国衙】とは(1)律令制下、諸国に置かれた国司が執務する役所。国府。国庁。(2)「国衙領」の略、とある。要するに国府の庁舎の建っていた所。「古府(ふるこ)」は「新国府」に対する「古い(旧)国府」の謂いか、「古庫」だろう。とにかく徳田地区のこの界隈、奈良・平安時代の由緒・歴史が紛々としている。
行きがけの駄賃とは言え時間を食い過ぎた。七尾市八幡町の『椿庵』の近くに来たら12:00のチャイムが鳴り渡った。ちょっと参ったf(-_-;)。
肝腎の『椿庵』の記事は今度にf(^^ゞ

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