2010年1月15日金曜日

12/30 大宰府政庁跡

大宰府政庁跡、これぞ僕の見学したかったものと言える。初め何処にあるか分らなかったが、天満宮に行く道中にあるのを発見。天満宮に参詣した後で見学することにしていたが天満宮で夕暮れが迫ってきた。












《古代、西海道と呼ばれていた九州一円を統括していた大宰府は外交・貿易などの対外窓口として重要な任務を課せられていた。その機構は中央政府に準じ、地方機関としては最大規模の行政組織を有していた。発掘調査によると、七世紀後半に掘立柱建物が建てられ、八世紀初頭に礎石を用いた朝堂院形式の建物に整備される。この建物は藤原純友の乱によって焼き打ちされたが、十世紀後半には立派に再建された。現在見ることのできる礎石は、この再建築のもので、左上図は発掘調査の成果をもとにして復元したものである。これらの建物は菅原道真が「都府の楼はわずかに瓦の色を看る」とうたっているように壮大なもので、当時としては中央の都の建物にも劣らぬものであった。正殿は重層風につくられ、屋根は入母屋ないしは寄棟造りであったと思われる。このような政庁を中心にして周囲は、数多くの役所が配置され、その規模は平城・平安の都に次ぐ「天下の一都会」であった。》



































































































































































































































































































































































































































































































































































































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