2009年12月27日日曜日

11/27(日)、快晴の四国路・吉野川上流を歩き回った。先ずは「小歩危」から。

朝7時に目覚めた。08:00鴻池SAを出立、瀬戸大橋を渡り讃岐国・坂出に上陸。直ぐに善通寺ICで下りて下道を走り、讃岐と阿波の国境を成す峠を越えて吉野川上流に位置する旧池田町(現在三好市)を目指した。旧池田町、ここで吉野川は直角に折れて流れをそれまでの南北方向から東西方向に変えあとは一直線に東の方・紀伊水道に注ぐ。ここから国道32号線に入り、南下して高知市に至る。今日の目的地の一つ、「大歩危」「小歩危」は国道32号線に出て暫く西進し、旧池田町で吉野川と共に直角に折れて南下して行くとある。吉野川は南流する。僕は北上し川を遡る。初めの予定では吉野川支流の「祖谷渓」に先ず入るつもりだったが案内標示が見当たらないまま祖谷川谷に入る吉野川に架かる橋を通り越した。ので、マッ好いかと方針を切り替えて大歩危・小歩危の本流の谷から探索することに。
先ず「小歩危」を歩いて探索。
小歩危の次に「鳶の巣渓谷」に入り込んだ。
それから「大歩危」を歩いて探索。ここで歩数は15,000歩。ここの最後に「道の駅・ラピスおおぼけ」にセレナを乗りつけた。ら、「石の博物館」があった。有料だし時間もなかったので入館しなかったが、売店に珍しい石類が多種多様にコレクション然として並べられていた。その中に「ラピス・ラズリ」があった。この石、産地はイラン・アフガン。色味は紺碧、「ウルトラ・マリーン」色。ヨーロッパの画家は紺碧の青色を手に入れるために「ラピス・ラズリ」を砕いて粉にし顔料にした。しかし「ラピス・ラズリ」はイラン・アフガンでしか採れずしかも生産量が少ない、その上危険な後悔を経て輸入されたため貴重で高価だった。同じ重さの金よりも高価とされた時代があった。ヨーロッパで紺碧の青色の別称が「ウルトラ・マリーン」と言われたのは顔料の「ラピス・ラズリ」が文字通り「海洋を越えて(ウルトラ・マリーン)」輸入されたため。今はウルトラ・マリーン色は化学合成された顔料で作られるので安価。時代は変わった。しかし僕は「ラピス・ラズリ」の辿った崇高な物語を知っていたのでこの石に無上の関心を抱いていた。なのに僕は「ラピス・ラズリ」の原石を見たことがなかった。それが目の前にあった。やはり超高価で旅先で気安く買える代物ではない。今日のところは諦めることにして帰りがけにレジの前を見ると、多分傷モノの「ラピス・ラズリ」の小石を薄切りにしたモノが売られている、1,050円也。買った!(^^)! とうとう「ラピス・ラズリ」を手に入れた\(^o^)/














大歩危のあとは、祖谷村を目指した。峠を越した祖谷川の谷間にある平家の落人伝説に彩られた世界。「かずら橋」「びわの滝」を見学。道中「平家の家」なるものを見学しようとしたが、受付に人がいなくて断念。どうも冴えない民俗資料館だったと思えるので残念ではない。悔いがあるのは、びわの滝を見た後祖谷に来た記念にと塩焼きアメゴを食したが(500円也)痩せて美味しくなかった、丸々としていた鮎の塩焼きの方が好かったなぁと思えること。
最後に大豊町で「日本一の大杉」に会ってきた。娘達が小さかった頃家族みんなで大豊付近の大杉を訪問したことがあるが、それがこの杉だったのか記憶がはっきりしない。違うのは、昔は無料だったのが今は見学料200円也ぃ(+_+)。
大豊ICから高知自動車道に入り、18:00過ぎに高知県須崎市の「道の駅・かわうその里すさき」に辿り着いた。嘘みたいな名前の道の駅。今夜はここで宿泊する。今日の歩数総計18,500歩、距離にすれば12kmほどか(゜o゜)。
明日は足摺岬界隈を中心に絵になる風景を探索する。折角ここまで来たんだから四万十川を遡上することも計画のうちになくもないが、多分無理。
今日は写真を撮り過ぎて手に負えないので写真掲載は断念。疲れたのでもう寝るわ。お休みぃ(-。-)y-゜゜゜


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