2009年10月1日木曜日

関の五本松

山頂に、樹齢数百年の松が五本、雄大に枝を張って眼下の航路・行き交う船を見下ろしている、僕はそんな情景を思い浮かべていきなりの急峻に歩を進めた。何処までも続く急坂。眼下に美保漁港が見える。




















心臓が喘いだ。何を隠そう、僕は「狭心症」持ち。心臓カテーテル治療をもう6年間受けている。カテーテル治療に向かない冠動脈の一部狭窄部位が未治療。重い運動をすると「狭心症状」が出る。無理は出来ない。のに無理をしている。心臓が重苦しくなってきた。一服入れては登って行った。
ここで廃業したケーブルリフト乗り場に着いた。
昔リフトで上がっていた区間を「狭心症」を抱えて登る羽目に。脂汗も出ようという時だった。目に入ったのは、喘ぐ登山者の気を紛らわして上げようとの心遣いで書かれた草木の説明札。
それが適当な間隔で、まるでそろそろお疲れでしょう、ま、これを読んで一服して元気を付けてまた励みなされぃ、といった調子。優しい志が伝わって来て心安まる。その数は都合数十枚。それを読み、撮影しながら登って行くと症状を忘れた。






















































































楽しませて貰っているうちに、有難いことに何とかリフトの終点に着いた。






















































遂に山頂。
そして、恐ろしいことが判明した。《関の五本松》は存在していなかったのだ。




《関の五本松》がどうして有名なのか、その謎が解けた。民謡《関の五本松節》の歌詞にあった。「関の五本松 一本切りゃ四本、あとは切られぬ夫婦松 ショコォー ショコホイノォー マツホィー」

初代五本松はとっくの昔に全滅していた。そのことを、登山口でも途中でも一言も言ってくれなかった。それが分っていたら誰が登って来るかっ(`´)。尤もそれを先に言ったら誰にも登って貰えない。僕は、道中の心優しい気遣いがあって癒され元気付けられて頂上まで来たので少しも腹が立たなかった。
代わりの松モドキが作ってあった。
古株もあった、初代の松の株とは思えないが。
旧松江街道の跡にもお目にかかれた。昔日は海岸沿いは断崖が続き陸路にならなかったらしい。それにしても昔は大変な苦労をして美保の関にやって来たもの。
帰り道、花と蝶に心癒された。

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