2017年10月16日月曜日

〇10-8(日)奈良県天理市「石上(いそのかみ)神宮」国宝摂社拝殿・本社拝殿、重文楼門

〇石上神宮参拝はこれで三度目か。この神宮は古代氏族の筆頭・物部氏の総氏神を祀る。物部氏は、仏教を信奉して抬頭した蘇我氏と対立して敗れた。石上神宮は奈良盆地の東端にあり法隆寺は西端にある。奇しくも両者を結ぶ線は、綺麗に東西一直線をなす。
 ↓柿本朝臣人麿歌《をとめらが袖布留(ふる)山の瑞垣の 久しき時ゆ思ひきわれは》万葉集巻四より

 ↓神鶏が数十羽は闊歩している。夜は、犬猫・狸等から護るため囲われているに違いない
 ↓古代の「山の辺の道」。この道は桜井に出る
 〇国宝・石上神宮摂社出雲建雄(いずもたけお)神社拝殿。この拝殿は、元内山永久寺(現在廃寺)の鎮守社の拝殿を同寺廃絶後、大正3年に移築したもの。


 ↓摂社「出雲建雄神社」・式内社



 〇重文・楼門

 楼門の前を通る道も古代「山の辺の道》の一つ。この道は奈良に至る
楼門を 潜る


 〇国宝・拝殿。平安時代後期、白河天皇は当神宮を殊に崇敬され、現在の拝殿(国宝)は天皇が宮中の神嘉殿(しんかでん)を寄進されたものと伝わる



 ↓拝殿の背後に本殿の一部が見える。当神宮にはかつては本殿が無く、拝殿後方の禁足地を御本地と称し、その中央に主祭神が埋斎され、諸神は拝殿に配祀されていた。明治7年管政友(かんまさとも)大宮司により禁足地が発掘され、御神体の出御を仰ぎ、大正2年本殿が造営された
 ↓本殿向かって左に神庫(ほくら)が建つ。
 〇神庫には、国宝・七支刀(ななつさやのたち)を始め、鉄盾等幾多の重文が収蔵されている
〇七支刀には銘文が刻まれており、この銘文が古代史を解明するための第一級史料を提供してくれている。百済から贈られた。

2017年10月13日金曜日

〇10-8(日)奈良県天理市「和邇下(わにした)神社」重文本殿

〇この神社は天理市の市街地にある。
 ↓参道
 左折
 幾多の摂末社をすり抜けて、本社本殿へ。本社は「和邇下神社古墳」の上に建っているそう。
 拝殿
 ↓拝殿から本殿正面を見る。三間社
 ↓瑞垣の中はこの角度からしか見えない。本殿の端しか見えない

 〇大いに不満だったところ、無人の社務所にパンフレットが置いてあり無料でお持ち帰り下さいとあった。取って見ると、本殿の全容写真がある。すっかり気を好くした
 ↓帰りは別ルートの石段を下りた。古墳を下っている

2017年10月12日木曜日

〇10-8(日)奈良県天理市「天皇神社」重文本殿

〇天皇神社は村の中にある。通じる道が旧道で狭すぎて、接近に苦労した。
 ↓天皇とは牛頭天王(ごずてんのう)の意味で素戔嗚尊(すさのおのみこと)を祀っている。
この本殿は一間社春日造の屋根檜皮葺で、室町時代初期の特徴をよく保っている。
 拝殿
 拝殿から本殿正面を見る
 〇重文・本殿。瑞垣の高さ・造りが拝観に具合よくて喜ばしい。





〇10-7(土)奈良県天理市「長岳寺」重文楼門・旧地蔵院・五智堂

〇夕暮れ近く、奈良県天理市「長岳寺」に着く。
↓総門
↓猫の天下
↓重要文化財の多さに驚く。重文仏像は5体。重文建造物は4棟(実質3棟)
↓重文・旧地蔵院への門

〇重文・旧地蔵院



↓持仏堂の本尊

〇重文・楼門

潜る
↓本堂

〇本堂本尊・重文阿弥陀如来坐像、平安時代
 〇重文・観世音菩薩坐像
 〇重文・勢至菩薩坐像
 〇重文・多聞天立像、平安時代
多聞天は向かって右端に立つ。左端には、重文・増長天立像が立つ
↓本堂の奥の岡に大師堂が建つ
↓拝殿
↓大師堂。拝殿の背後
↓大師堂の掲額「遍照殿」
↓前方・拝殿、後方・大師堂
↓一段高い丘の上の鐘堂
↓鐘堂から見た左・楼門と右・本堂
↓左・楼門、右・本堂
↓総門に戻る
〇重文・五智堂(真面(まめん)堂)は、長岳寺境内から500mほど飛地の村の集落に建つ。