2017年6月27日火曜日

〇6-24(土)長野県飯山市照岡「白山神社」重文本殿

〇一車線ぎりぎりの林道を疑心暗鬼で登って行く。ヘアピンカーブでは切り返しが必要。↓白山神社の案内が出たので一安心で登る。
 ↓林道の路傍に「重要文化財・白山神社」の案内が出た。ここから脇道を徒歩で行くらしい
 ↓脇道を行く
 段になった坂を登る
 ↓見えた、白山神社覆い屋が


 〇《重要文化財・白山神社本殿 白山神社本殿は、室町時代の初期に当たる応永32(1425)年の建築‥‥.全体の構造は、一間社・春日造のごく小さいものであるが、室町時代の特徴をよく表し‥‥。」

〇千曲川(信濃川)沿いの小さな村の山奥深くに鎮座するこんな小さな神社の本殿が、室町時代初期に建築されていたとは驚き。この神社、本殿以外には何もない

〇6-24(土)長野県飯山市豊田「健御名方富命彦神別(たけみなかたとみのみことひこかみわけ)神社」重文「若宮神社」本殿

〇千曲川(信濃川)沿岸の村落にある。
↓いかにも古社らしい佇まい
 ↓神社名がややこしい。「健御名方富命彦神別神社」。「たけみなかたとみのみことひこかみわけじんじゃ」と読む

 ↓さらにややこしい。「重要文化財・健御名方富命彦神別神社末社若宮八幡神社本殿」とある。重文名としては多分日本一長い。
 ↓クスッと笑えるのはこのWC名。「雪隠(せっちん)かたくり」

  ↓拝殿
 ↓拝殿・廊殿・本殿

 〇ボクは本殿の両脇に御柱が立っているのに気付いた。ここは信濃の国なのだ
↓御柱のてっぺんに御幣が打ち付けてある
 ↓本殿境内の高みから一段下の若宮八幡神社境内を見下ろす。重文・末社若宮八幡神社の覆い屋が見える


 ↑↓「若宮八幡神社」の覆い屋
 ↓「‥‥若宮八幡神社の社殿はもと大宮(健御名方富命彦神別神社)の本殿を現地に遷し建てたものと伝えられているが、その建築の様式・手法等はよく室町時代の特徴を示している。その頃、この地を支配し大宮を奉斎してその復興をはかった尾崎氏(泉氏)が同氏の祖神にゆかりのある若宮八幡神社を大宮の境内社として建立したものであろう。‥‥」
 ↓窓から覗き見た重文若宮八幡神社。装飾気のない素木造り



2017年6月26日月曜日

〇6-24(土)長野県飯山市瑞穂小菅「小菅(こすげ)神社」重文奥社本殿

〇小菅神社を目指して最初に出くわすのがこの仁王門。仁王門だから仏教施設。実は小菅神社は、明治維新時の廃仏毀釈・神仏分離・修験道禁止によって生まれたもので、それ以前は小菅山は小菅山元隆寺という修験道寺院が繁栄していた。役小角(えんのおづぬ)が開山だそう。廃仏毀釈によって多くの仏教堂塔が破壊されたが、この仁王門は残された。
 ↓仁王像の出来は稚拙
 ↓奥社の登り口に建つ三の鳥居に向って参道を登って行くと、講堂がある。仏教施設だが、これも残った 
 ↓講堂内の本尊・阿弥陀如来三尊
 〇講堂の左奥に森に埋もれてうっかりすると存在することにも気づかない小菅神社が佇む。その小菅神社に至る石段の登り口に万葉歌碑が立っている。
↓《浅葉野に立ち神さぶる菅の根の根もころ誰故わが恋なくに》万葉集巻12に収められている柿本人麻呂の歌。大意は、浅葉野にはえて神々しいまでに年を経た菅の根のように・ねんごろに心深く誰のためにでもなくあなたのみを恋慕うのだ。
三の鳥居の手前に「浅葉野軒」という蕎麦屋があった。ボクはそこで腹ごしらえをした
 ↓万葉歌碑

 ↓この石段を昇ると小菅神社。右下に歌碑が見える
 ↓神楽殿・拝殿。奥に本殿が見える
↓神馬殿


 ↓神輿殿。この中の神輿が「柱松柴灯神事」で大事な役割を果たす
 ↓本殿
 一見すると拝殿のように見えるが、本殿
 ↓背後に本殿にあたる建物はない
 ↓さらに三の鳥居に向かっていくと、観音堂がある。このお堂も廃仏毀釈の難を免れたらしい。今は隣りの菩提院という寺院に属するらしい



 ↓三の鳥居。ここから奥社に登る参道が始まる
 ↓三の鳥居を潜らずに右手に歩を取ると立派な石垣が現れる
 ↓石段を昇ると
 ↓昔の神仏習合修験道寺院・元隆寺の別当寺院だった大聖院跡に出る
 ↓石碑「小菅山元隆寺・大聖院跡」

 ↓大聖院跡に建つ護摩堂(赤屋根)

 〇三の鳥居前に戻りいよいよ参道を登ろうとしたら「奥社マデ1260m」とある。しかも名うての急坂と聞く。
 ↓三の鳥居を潜ると忽ち始まる昇りの石段参道。奥社は標高900m余の位置にあるそう。登るにつれて急坂となる 

 〇ボクはこれまで山上の文化財を求めて諸処で登山をし、そして何度か死にかけた。今回は本当に危なそうなのでためらわずに登山を諦めた。重文奥社本殿については、出来るだけ写真を蒐集することにした。
↓「奥社本殿は、小菅部落東方の長い杉並木の参道を登ると山頂に近い標高900mの岸壁に寄せ深い渓谷に南面して建てられている。岸壁は建物を覆い堂内には甘露池がある。その構造形式は懸造で‥‥。現在の奥社本殿は様式手法からみて、天文年間の再建と推定され、宮殿(くうでん)には永正5年9月成就の古記録がある、ともに室町時代末期の建造物と考えられる。‥‥。小菅神社は役小角創立を伝え、馬頭観音を本地とし、熊野・金峯・白山・立山・山王・走湯・戸隠の諸社を勧請し、八所権現を祀る。中世は小菅山元隆寺と称し、京都禅林寺(若王子神社の別当)の荘園に属し、戸隠・飯縄と並んで修験の道場として著名であった」


〇奥社本殿はその中の宮殿(くうでん)2基と共に重文。室町時代後期の建立といわれている